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うことは当時私も聞いておりましたのですけれども、どんなものかよくわからなかった。ところが幸いに私は1983年に再びカーブルに入ることができまして、その時に見せていただいたのですけれども、6つの墓がありまして、これが男性、女性とがあるのですが、それぞれが頭の上から足もとに至るまですべて黄金のいろいろな装身具を付けたものが出てきているというものでございます。
それからもう一つはベグラムという遺跡であります。ベグラムというのは、アフガニスタンの真ん中にヒンズークシ山脈という、パミール高原から西へ出ている大きな山脈がありまして、これによってアフガニスタンは北と南に分かれていますが、そのヒンズークシ山脈の南麓にある遺跡であります。例のインドのクシャン王朝のカニシカ王という王が、この方も大変仏教を尊崇しておりましたが、クシャン王朝というのはもともとアフガニスタンに起こりまして、アフガニスタンからずっと広くパキスタン、インドの北部まで大きなクシャン王国を建設した国家ですけれども、そのカニシカ王の「夏の都」と言われているところがこのベグラムであります。そこに都市があるのですけれども、その都市の一画の小さな部屋の倉庫の中から、またいろいろなすばらしい財宝が見つかりました。そこでは西方のエジプトのアレキサンドリアでつくったと言われている各種のガラス製品、カットグラスや型ガラスや彩色ガラス、それから青銅でつくりましたハルポクラーテスだとか、あるいはセラピスとヘラクレスだとかといったようなギリシア風の彫刻あるいはアラバスター製品、あるいは石膏でつくりました、やはりこれもギリシア風のいろいろな彫刻、それと同時に今度はインドのすばらしい象牙の彫刻類、それから中国の漆器類というふうなものもここでは出土しております。
ですから一番最初に申しましたように、アフガニスタンにはギリシアとインドと中国、それが期せずしてやってきたと、それぞれの源流のものがこのベグラムの遺跡から発見されているという、非常にこれもいかにもアフガニスタンらしいというか、アフガニスタンでなければこういうふうな組合せというものはできない、そういった宝物がここから見つかっているわけです。
それからもう一つハッダという遺跡がございます。これは東のパキスタンに近いところにあるのですが、ここには仏教寺院がいくつかございまして、ストゥッコの仏像がたくさん出ています。そこの仏像の大きな龕がございまして、その仏像の横に脇侍としてギリシアのヘラクレスの像が置かれているのです。これを見まして私は本当にびっくりしましたが、いわゆるお釈迦さんの周りにはいわゆる執金剛神という、金剛杵を持ってお釈迦さんを守る、仏教を守る執金剛神、英語でヴァシュラハニーと言っておりますが、これがあるのですけれども、そのヴァシュラハニーのもとがどうもヘラクレス、梶棒を持ったヘラクレスの像であるということが、このハッダの彫刻を見て初めてわかった次第です。
最後にバーミヤーンの石窟寺院をご紹介いたします。バーミヤーンの石窟寺院というのはヒンズークシ山脈の真ん中にありまして、約1,000に近い石窟が岩山の南の崖面に並んでいるのですけれども、そこには有名な2つの大きな立像仏があります。一つは高さが37メートル、それから西のほうは55メートルある大仏様です。それからその周りにたくさんの石窟があって、その中には壁画が描かれています。私たちはそのバーミヤーンの石窟の写真測量をいたしまして、その壁画の調査を十分行いました。ところが、それが次の年に行ってみますと、去年あったその壁画がもう剥落してなくなっているということをしばしば体験いたしました。それで前の年に撮った写真がもうあれしか残っていないのだというようなことを痛感したわけです。だから何とか早く保存しないと、修理をしないと、これは自然にも傷んでくるなということを痛感したのです。
ところがそのバーミヤーンが今度の内戦の中で、無事であるのかどうか大変気がかりです。ああいう石窟寺院というのは、武器や弾薬を入れる場所にも非常に適しておりますし、それからまた実際の戦闘にたづさわっている人達が石窟の中に入って憩うためには絶好の場所ですので、そういう風に使われるということも聞いております。ただ、その後バーミヤーンヘ行った日本のカメラマンの写真を見ますと、幸いに55メートルの大仏の窟の壁画などはまだ残っているようです。しかし下の

 

 

 

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